福井直秋【武蔵野音楽大学の創始者】について

武蔵野音楽大学の創立者である福井直秋。その生い立ちや、歩んできた道のりについてまとめてみました。

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武蔵野音楽大学の創立者・福井直秋について

投稿日:2016年6月8日 更新日:

日本音楽教育の揺藍期から昭和30年代後半の長い期間にわたって、鉄の意志と情熱で前人未踏の道を切り開き、その後の耀かしい発展の礎を築いた音楽界の先達、その人こそ福井直秋でした。

 

武蔵野音楽大学の「建学の精神」

武蔵野音楽大学の開設には、福井直秋による学校の設立を強く懇請した多くの学生達と、福井の熱意に共鳴する教職員が深く関わっており、さらに善意ある無私の協力と共通理念の具現化を願う一人一人の物心両面にわたる「和」により、その創立が現実のものとなりました。

 

「和」の心があらゆる活動の原動力になるとの信念から、武蔵野音楽大学では、これを建学の精神と定めています。武蔵野音楽大学では、建学の精神「和」をもととし、教育方針である「音楽芸術の研鑽」と「人間形成」にもとづき、真に音楽芸術美を究める人間性豊かな人材を育成し、広くわが国の文化芸術の振興に寄与することを使命と目的にしています。

 

加えてこの使命目的を達成するために備えなければならない徳目として、大学創立者福井の生涯の指針であった、「礼儀(Propriety)」、「清潔(Purity)」、「時間厳守(Punctual)」の3つを「3P主義」と呼び、大学関係者が日々

実践すべき生活の規範としています。

創立者の福井直秋、および武蔵野音楽大学の歩んできた歴史を紐解く時、学校を支える建学の精神や基本理念、校風が過去から現在にしっかりと息づいていることを実感することができるでしょう。

 

 

福井直秋の歩んだ道

武蔵野音楽大学の創立者である福井直秋の一生は、苦難に満ちた明治の動乱期から、基礎固めの大正、そして、急激ともいえる発展期の昭和の3代にわたり、まさにわが国の歩みと軌を一にしていました。彼は若くしてすでに、わが国初の音楽理論書ならびに教科書を著わして、晩年にいたるまで、作曲、著作に励みました。

 

これらの著書を通じて音楽教育の興隆に大きく寄与したことは、福井は東京芸術大学の前身、東京音楽学校を卒業以来、奉職した学校数は多く、僻地にあっては音楽の土壌を耕し、中央にあっては高邁な理想の実現に努力しました。しかし音楽教育へのやみがたい熱情は、昭和初期の武蔵野音楽学校の創立となって開花し、さらに専門学校への昇格となって結実したのです。私学の専門学校昇格は、わが国教育史上類例をみないところであり、特筆に価するといえます。

 

第2次大戦後、わが国の音楽の隆盛は、注目すべきものがあります。時代の要求にこたえ、また学制改革によって、武蔵野音楽大学に移行してからは、青年子弟のための音楽の殿堂を建設することに老師の情熱はさらに燃えあがりました。

 

そして大変に困難な条件のもとに、立派に遂行したのです。また福井の功績としては、世界各国から代表的な音楽教育家を束京に招き、音楽教育国際会議を主宰されたことが挙げられます。その生涯を音楽教育に捧げた福井の熱意は、ただたんに日本国内のみにとどまらず、全世界への力強い呼びかけとなって現われたのです。

 

 

福井が種をまき、そして育成されたわが国の音楽教育は、今や常緑の大樹となって、わたしたちの生活を潤してくれています。

 

今、国際的にも華々しいわが国音楽界の隆盛を目の当たりにするとき、福井が精魂こめられた音楽教育の基礎作りがいかに重要であったか、その生き方を知ることで理解できるでしょう。明治から現在までのわが国の音楽教育は、福井の尊い一生と切り離しては考えられません。

 

福井に接した人は、等しくその人格にうたれ、とくに直接指導を受けた人は、音楽のみならず人として大いに感化されました。本人が亡くなってから間もなく、教え子はいうに及ばず、広く接した人たちからもまた、伝記を残したいという強い希望が起こってきた程です。

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