福井直秋【武蔵野音楽大学の創始者】について

武蔵野音楽大学の創立者である福井直秋。その生い立ちや、歩んできた道のりについてまとめてみました。

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武蔵野音楽大学の発展とベートーヴェンホールの完成

投稿日:2016年9月6日 更新日:

「武蔵野音楽学校は音楽大学として文化日本を担うべく、すばらしい発展をとげていたが、福井の壮麗な夢と悼大なる意志は、それで事が足りているとは考えていない」学校が創立2周年を迎えた当時、福井はこのように述懐しています。

またこの後、武蔵野に関係ある者が一丸となり、校舎を鉄筋コンクリート建に改築したいと述べています。

 

そして、その第一歩は福井の驚くべき独創性によって歩み始めたのです。

 

「1口10円として、1人で何口でも自由という募金要領であった。この案を福井が教授会や同窓会にはかった時、関係者は首をひねるというより、むしろあっけにとられたという。しかし10円をバカにしてはいけない。10円でも塵も積もればだ。それに、10円なら誰でも嫌とは言うまい。あの赤い羽根の募金を見てもわかるではないか」この福井の奇想天外ともいうべきアイディアと熱意は、武蔵野音楽大学校舎改築の基礎を作ったのです。

 

 

昭和28年2月、この1口10円の募金運動で始まった「校舎改築協力会」はその募金額は100万円に達し、

これが校舎改築の括礎調査、準備の資金として大いに役立ち、武蔵野音楽大学校舎改築期成会の誕生となって実を結んだのです。

 

私学の校舎改築にこれほど、多種多様な人々が贄同したという前例は、これまで無かったといっても過言ではないでしょう。

 

まさに、「一粒の麦死なずば」の例です。半年前に開始された10円募金は、ここまでの反響となり、世に広がっていったのです。そして、それは取りもなおさず福井直秋の音楽教育に尽した、血と涙の努力の結晶でもあったのです。

 

武蔵野音楽大学校舎改築の最終目的ともいうべき大事業は、コンサート・ホールの完成でした。そして、このホールの建設こそは、福井直秋の80有余年の集大成ともいうべき、あるいは、彼の最終の夢ともいうべき完璧無類のものでなければなりませんでした。

彼が学生達に語ったように、彼の理想の音楽大学とは、もちろん現在の武蔵野音楽大学の数倍の規模を持つものではあったでしょうが、創立わずか30数年の月日と、限られた敷地と限られた財源の中で、世界に誇るべきコンサート・ホールの建設は、並大抵の創意と努力では達成することが不可能に近い難事であったことでしょう。

彼とその期成会は、これに挑戦したのです。

 

従来までのホールは、昭和8年に完成されたものであり、創立わずか5年後に出来たもので、それは600人の人数を入れる普通の講堂でコンサート・ホールに絶対欠かせぬ音密対策などは全く加味されたものではありませんでした。

 

そして外部からの騒音に対しては全くの無防備であり、戦後急速に発展した人口の増加でホールの周囲は商店と住宅で囲まれてしまい、外部の騒音がホールの演奏に相当な影響を及ぼしていました。

 

それだけに、この武蔵野音楽大学のコンサート・ホールにかけた福井の執念は並大抵ではありませんでした。

さらに、第1期、第2期工事を通じて、大学と大手総合建設会社である大林組、NHK音響研究部のチームワークは鉄壁であり、ホール建設における経験と実力は充分でした。

しかし、福井はこのコンサート・ホールを普通のホールとは考えていなかったのです。世界的パイプオルガンをこのホールに備えつけることが彼の念願でした。それだけに、この工事は日本で初めてのものだったのです。

 

関わる技術員たちは、工事中多数の計器をもって精密に検査し、作業は深夜までに及んだことが数限りなくありました。彼等もまたこのホールに、福井やその関係者とともに寝食を忘れてその完成にあたりました。

 

こうして昭和35年に、日本で初めての本格的なコンサート・ホールとして、武蔵野音楽大学ベートーヴェンホールが建設されました。

 

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